一昨年にもあったことを覚えているでしょうか? この時期,故郷に帰る本校職員への僕からの宿題(と言っても強制ではありません。あくまで任意です。念のため)
今年はU君のレポートです
わたしの母校
久しぶりに母校を訪ねました。
島根県出雲市〇〇町にある、〇〇小学校です。
私の母校は、小さな町にある、小さな学校です。
これは何?
校門を入るとすぐに、不思議な像が建っています。
もう腕らしき部分が朽ちていて(特に二の腕の部分)、二人(?)の結ばれている手が離れそうになっています。
町に一つの小学校。〇〇町の子どもたちが全員この小学校に来ます。
今は、子どもの数が少し減り、全校で300人弱です。
ちなみに、中学校も町に一つ。小学校の子どもがそのまま中学校の子どもになります。距離も短く、小・中一貫みたいなものです。
下写真の真ん中の物体は、焼却炉です。当時は、学校のごみをここで燃やしていました。焼却炉の中は、真っ赤な炎が上がっています。掃除の時間に教室のごみ箱を持っていき、おびえながら扉を開けます。メラメラとした中に、一気にゴミを放り込んでいました。今では、考えられません。今は、使われず、置物になっています。
休み時間も使えた体育館。
「みのりのうえん」という看板が作られていました。(そんな名前だったのか。)
さつまいも(町の名産品)やヘチマ、かぼちゃ、ひまわりなどを植えました。
土を掘って収穫したり、観察をしたりしながら、ハサミムシやダンゴムシ、テントウムシとよく遊んでいました。
裏には山があり、校庭にはすてきな相撲の土俵がある、おもしろい小学校です。
休み時間には山の中でブランコをしたり、かくれんぼやおにごっこをしたりして遊んでいました。昔自分たちで作ったブランコは無くなっていましたが、山道がきれいに舗装され歩きやすくなっていました。歩いていて気持ちよくなります。きっと今でも、子どもたちは、山で思いっきりはしゃいで遊んでいるのでしょう。
土俵です。
土俵は、ぼくがいたときには、相撲大会が行われるわけでもなく、あまり使われていませんでした。「今どき、相撲って・・・。」と当時心の中で思っていました。大人になってから相撲の面白さを知りました。
当時は、その面白さを知ることもなく、土俵は雨が降ってきたときの雨宿りの場所になっていました。
卒業して十数年、変わらず残っていました。
田舎の静かな小学校です。
今も元気な子どもたちがたくさん遊んでいるようです。
ほ、よかった。
大学が和歌山で今年から本校に赴任してきたU君
日ごろは互いにいそがしく会話もあまりありません 上司と部下の関係ではなおさらです
このように彼の故郷や生い立ちをほんのちょっとでも知ることで,一職員としてではなく教師として頑張っている一人の青年として愛おしく思ってしまうと言えば大げさでしょうか・・
彼が偶然とは言え本校に来たことを感謝しなければなりませんね