和歌山市立西脇幼稚園

幼児期の終わりまでに育ってほしい姿

≪8月20日の幼稚園≫

9時半から11時半まで、5家族10人ほどがあそびました。

ミニトマトもなっていて、子どもと一緒にとってお土産に持って帰りました。このブログの記事のことを話題にしてくれたので嬉しく、私も30分ほどお母さん方と談話。

子ども達は、帰るとき、ちゃんと職員室の入り口のところまで挨拶に来て「またあした!」とにこにこ元気に帰っていきました。

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今回幼稚園教育要領に、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」が示された。

「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」を手掛かりに幼稚園・小学校に於いて、子どもの姿を共有する等、幼児教育と小学校教育の円滑な接続をはかることが求められている。

また、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」は、幼児教育施設の教育・保育を等した子どもの成長を幼児教育関係者以外にも、分かりやすく伝えることにも資するものであると、言っている。

すなわち、幼稚園教育要領に示された「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」は、幼稚園教育を行うに当たっての物差しとなるもので、それは、小学校教育に接続するための物差しでもあるし、保護者やその他の方への幼児教育の有り方を説明するための物差しでもあるということだと、私は理解している。

 

まずもって、当然のことであるが、今回示された、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」を幼稚園教師は理解する必要がある。西脇幼稚園での会議資料としてここにメモをする。

このような姿を求めて日々の保育ができているかを立ち返る場となるはずである。

また、総合的な指導の中で、幼児の見かた・考え方をとらえ、その味方考え方を通して、幼児の遊びの中にある、「学びの姿」を捉えていく際のテキストにもなるはずである。

一方、保護者やその他の方への幼児教育の有り方を説明するものとしても意味あるものであり「幼稚園は、このようなことを大事に、『幼稚園教育』をしているのか」という理解をしていただくための記事でもある。

 

・・・幼児教育要領に示されたものは、下記の「10の姿」である・・・

「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」

・健康な心と体 ・自立心 ・協同性 ・道徳性、規範意識の芽生え ・社会生活との関わり

・思考力の芽生え ・自然との関わり、生命尊重 ・数や図形・標識や文字などへの関心・感覚

・言葉による伝え合い ・豊かな感性と表現

(これら10項目について、明日8月21日から30日まで、1項目ずつ内容をメモする)

※「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」が、到達すべき目標ではない事、個別に出して指導されるものではない。幼児教育は、環境を通しておこなうものであり、子どもの自発的な活動としての遊びを通して、一人一人の発達の特性に応じて、これらの姿が育っていくものであり、全ての子どもに同じように見られるものではないことに留意する。

※「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」は、子どもが発達していく方向を意識して、それぞれの時期にふさわしい指導を積み重ねていくことに留意する必要がある。

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夏休み・・・話は「文章で・・・」

子ども達が、生活や遊びを通して、主体的に人やものにかかわることで、学びの芽を育んでいく時期。

知識を一方的に教えたりしても、自分の生活とかけ離れていることであるならば、それが学びの意欲につながらないようです。自分の興味・関心に基づいた、直接的・具体的な体験を通して、ものごとに自分から関わっていこうとする意欲が養われる時期。

「でも、小学校に行くのに、数の事や時計の事が分かっていたほうが・・・。」の声!

私も同感です。

 

子供が興味の芽をのぞかせた時が、その子の学びを伸ばすチャンス!

A子は、時計の時間に興味をもちました。「もうすぐ12時だから、お昼御飯だね」「6時だから、~」と、いつも時間を付け足しながらA子に言うと、時間のことが理解できるようになってきます。

数に興味を持つように「3つトマト食べようか」「2枚お皿とってね」と、数字を入れながらお話することも、大事です。

 

とすれば、「はやく」「ダメ」「こら」だけでは、学びの芽も育たなければ、豊かな心は育ちませんね。

「単語」で話をするのでなく、「文」で話をすることが、大事ということも分かります。

 

夏休みは、子どもに「文章で」話をしてあげてください。

子供が何に興味を持っているのだろう。

どんなことでもいいので、じっくりとそのことに集中して取り組む時間を親子でもつことができればいいですね。

そして、数や時間をその話の中に織り交ぜて、お話してあげてほしいと思います。

笑顔で、子どもの顔を見て・・・。

 

「当たり前のレベルを上げる」

「当たり前のレベルをあげる」井村コーチの言葉です。

何が当たり前の状態なのか。

トイレのスリッパが・・・①みだれている状態。②そろっている状態、どちらの状態もあり得ることだが、それを「当たり前」のように思っている現状がそこにあります。①でも当たり前と思っていたり、②が当たり前と思っていたりしているのです。①と②では、「当たり前のレベル」が、違っているのです。

今の「当たり前」と思っている状態の「レベルを上げた当たり前の状態にする」ことが大事です。

・教室の整理整頓の状態の「当たり前のレベルをあげる」

・園環境の「当たり前のレベルをあげる」・・・等々

 

当たり前をチェックする為には、外からの眼も大事です。

自分では、当たり前と思っていても、外の人から見ると、当たり前ではないことが良くあります。

自分家の玄関でも、普段は見慣れているのでこれで当たり前と思って過ごしていますが、お客さんが来るとなると、靴をしまったり、花を飾ったり、「当たり前」のレベルを上げます。

私自身も、自分の部屋の積んである本を片づけないまま積んでいる状態を「当たり前」としていますが、他の人から見ると、当たり前ではないことでしょう。

教育の当たり前も、それが当たり前なのかを「立ち止まる・振り返る」作業もいります。

色々なたちどまりがありますが、アンケートの実施もそうですし、研究授業もその一つです。

色々な事を活用しながら、「当たり前」のレベルを上げて行きたいと思っています。

職場の三原則

社会人として、職場での「三原則」を教師で確認しています。

1.時を守り

「時間は、命」ですから、時間を約束したなら守る。

時間を意識して、動くように心がけます。

2.場を浄め

「整理・整頓・清掃」

清掃は、できるのですが、「整理=すてる」ことができません。

物がもったいない、という気がするのです。清掃は、毎日園児も取り組んでいます。

※給食後、全園児一斉に「掃除の時間」を設定して、雑巾を使っています。

教師は、毎朝入口を掃いたり、草をひいたり、15分程掃除をしています。

3.礼を正す

あいさつです。

「あいさつ・返事・履物を揃える」を心掛けています。

トイレのスリッパは、100%と思いますが、少なくても90%は、常に揃っている状態があたりまえとなっています。有り難いことです。

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≪蛇足ですが≫

雑巾を使っていると、自分を支える腕の力が付いてきます。さらには、頭の位置が腰より低くなり、さかさ感覚が身に付きます。なので、鉄棒で、逆さになることができ、逆上がりなどへの導入となっているように思います。

環境を構成する。準備の大切さ。

主体者である子どもの興味関心は、常にひとところにありません。しかし、教師は意図的に環境を構成します。学びの仕掛けとして、意図的な環境構成は、必要な事です。時々の子ども達の興味関心を受け止め、豊かな遊びを展開するために担任のみならず、保育補助、時には保護者にも協力していただき準備します。

この1月期、ある先生が、おたまじゃくしをもってくてくれたり、アメリカザリガニを持ってきてくれたり、地域の方がジャンボカボチャをくださったり、花の種や苗をくだ議に繋げていこうとするりしました。

みんなの手をお借りし、準備することが大事なことです。

「遊びは学び」です。学びをどのように経験させ、次につなげていくのか。準備や見通しを持ち、質の良い体験を準備したいと思います。

そして、子ども達が、周囲の環境に興味や関心をもって積極的に働きかけ、見通しをもって粘り強く取り組み、自らの遊びを振り返って、次につなげていこうとする「主体的な学び」が実現できているのかを見守っていきたいと思っています。

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