「自立心」
・幼稚園教育
身近な環境に主体的に関わり様々な活動を楽しむ中で、しなければならないことを自覚し、自分の力で行うために考えたり、工夫したりしながら、諦めずにやりとげることで達成感を味わい、自信をもって行動するようになる。
・小学校への接続
小学校生活に於いて、自分で出来ることは自分でしようと積極的に取り組む姿や、生活や学習での課題を自分のこととして受け止めて意欲的に取り組む姿、自分なりに考えて意見を言ったり、分からないことや難しいことは、教師や友達に聞きながら粘り強く取り組んだりする姿など、日々の生活を楽しく充実することにつながる。
・・・・・・・・・・
≪子ども≫
・自分を表現することを楽しむ。
・自発的な姿
・試行錯誤する粘り強い姿
・身の回りのことを自分でする姿。
≪教師≫
※自立の前に、依存がある。
まずは、すべてのどの子どもも幼稚園に来れば、いつものやさしい教師がいることの大切さ。しっかりと依存できている。その上に立って、依存しつつ、自立する。
一人一人の自立を助ける、支援のあり方。主体者が成長しようとする姿に応援しつつ、懐に飛び込んできたときには、しっかりやさしく受け止めてあげる。子どもは、エネルギーがでてきたら、自分から、自分の可能性を発揮しようとする。行きつ戻りつしながら、自立心が養われていく。
カタツムリに、早く動けと、カラを押しても、動かないでからの中に閉じこもる。動こうとする環境をつくることで、自ら動く。
話し合う場。教師が何事も介入するということでなく、どうするのかを見守ることも大事。支援は、手助けすることだけでなく、見守るということも、大事な支援方法。教師の資質・力量。
・自分の意見を表明する場の保障
・取り組もうとする遊び場の構成
・粘り強く取り組む姿を支える寄り添った支援
・成功感、成就感を味あわせるストーリー保育。
「健康な心と体」
・幼児教育
園生活の中で、充実感をもって自分のやりたいことに向かって心と体を十分に働かせ、見通しをもって行動し、自ら健康で安全な生活をつくり出すようになる。
・小学校への接続
小学校生活の流れが分かるようになり、次の活動を考えて準備したりするなど、見通しをもって行動したり、安全に気を付けて登下校しようとしたりする姿につながる。
小学校の学習における運動遊びや、休み時間など他の児童と一緒に楽しく過ごすことにつながり、のびのびと行動する力を育んでいく。
・・・・・・・・・・
≪子ども≫
・園に着いたら、先生や友達と、明るく元気に挨拶する。
・通園カバンをロッカーに直し、園生活の準備をする。
・トイレに行く。
・外から保育室に戻る時は、手を洗う。うがいをする。
・食後、歯を磨く
・外で元気に遊ぶ
≪教師≫
・発達段階に応じて、一日の流れの見通しを、もたせる工夫をする。(必ず朝の会で)
・子ども理解の上に立ち、子どもがやろうとしていることを伸ばせる、環境構成に心掛ける。
⇒広がる遊び場。遊び場の数。
常時使えるもの(素材・はさみ・テープ等)を、いつもの場所に
・・・子どもが見つけ使える
・「歌」の歌詞を掲示
・・・言語環境(子どもが、ひらがなを見つけ出せる)
・外で遊ぶ時間確保
≪8月20日の幼稚園≫
9時半から11時半まで、5家族10人ほどがあそびました。
ミニトマトもなっていて、子どもと一緒にとってお土産に持って帰りました。このブログの記事のことを話題にしてくれたので嬉しく、私も30分ほどお母さん方と談話。
子ども達は、帰るとき、ちゃんと職員室の入り口のところまで挨拶に来て「またあした!」とにこにこ元気に帰っていきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回幼稚園教育要領に、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」が示された。
「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」を手掛かりに幼稚園・小学校に於いて、子どもの姿を共有する等、幼児教育と小学校教育の円滑な接続をはかることが求められている。
また、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」は、幼児教育施設の教育・保育を等した子どもの成長を幼児教育関係者以外にも、分かりやすく伝えることにも資するものであると、言っている。
すなわち、幼稚園教育要領に示された「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」は、幼稚園教育を行うに当たっての物差しとなるもので、それは、小学校教育に接続するための物差しでもあるし、保護者やその他の方への幼児教育の有り方を説明するための物差しでもあるということだと、私は理解している。
まずもって、当然のことであるが、今回示された、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」を幼稚園教師は理解する必要がある。西脇幼稚園での会議資料としてここにメモをする。
このような姿を求めて日々の保育ができているかを立ち返る場となるはずである。
また、総合的な指導の中で、幼児の見かた・考え方をとらえ、その味方考え方を通して、幼児の遊びの中にある、「学びの姿」を捉えていく際のテキストにもなるはずである。
一方、保護者やその他の方への幼児教育の有り方を説明するものとしても意味あるものであり「幼稚園は、このようなことを大事に、『幼稚園教育』をしているのか」という理解をしていただくための記事でもある。
・・・幼児教育要領に示されたものは、下記の「10の姿」である・・・
「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」
・健康な心と体 ・自立心 ・協同性 ・道徳性、規範意識の芽生え ・社会生活との関わり
・思考力の芽生え ・自然との関わり、生命尊重 ・数や図形・標識や文字などへの関心・感覚
・言葉による伝え合い ・豊かな感性と表現
(これら10項目について、明日8月21日から30日まで、1項目ずつ内容をメモする)
※「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」が、到達すべき目標ではない事、個別に出して指導されるものではない。幼児教育は、環境を通しておこなうものであり、子どもの自発的な活動としての遊びを通して、一人一人の発達の特性に応じて、これらの姿が育っていくものであり、全ての子どもに同じように見られるものではないことに留意する。
※「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」は、子どもが発達していく方向を意識して、それぞれの時期にふさわしい指導を積み重ねていくことに留意する必要がある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
子ども達が、生活や遊びを通して、主体的に人やものにかかわることで、学びの芽を育んでいく時期。
知識を一方的に教えたりしても、自分の生活とかけ離れていることであるならば、それが学びの意欲につながらないようです。自分の興味・関心に基づいた、直接的・具体的な体験を通して、ものごとに自分から関わっていこうとする意欲が養われる時期。
「でも、小学校に行くのに、数の事や時計の事が分かっていたほうが・・・。」の声!
私も同感です。
子供が興味の芽をのぞかせた時が、その子の学びを伸ばすチャンス!
A子は、時計の時間に興味をもちました。「もうすぐ12時だから、お昼御飯だね」「6時だから、~」と、いつも時間を付け足しながらA子に言うと、時間のことが理解できるようになってきます。
数に興味を持つように「3つトマト食べようか」「2枚お皿とってね」と、数字を入れながらお話することも、大事です。
とすれば、「はやく」「ダメ」「こら」だけでは、学びの芽も育たなければ、豊かな心は育ちませんね。
「単語」で話をするのでなく、「文」で話をすることが、大事ということも分かります。
夏休みは、子どもに「文章で」話をしてあげてください。
子供が何に興味を持っているのだろう。
どんなことでもいいので、じっくりとそのことに集中して取り組む時間を親子でもつことができればいいですね。
そして、数や時間をその話の中に織り交ぜて、お話してあげてほしいと思います。
笑顔で、子どもの顔を見て・・・。
「当たり前のレベルをあげる」井村コーチの言葉です。
何が当たり前の状態なのか。
トイレのスリッパが・・・①みだれている状態。②そろっている状態、どちらの状態もあり得ることだが、それを「当たり前」のように思っている現状がそこにあります。①でも当たり前と思っていたり、②が当たり前と思っていたりしているのです。①と②では、「当たり前のレベル」が、違っているのです。
今の「当たり前」と思っている状態の「レベルを上げた当たり前の状態にする」ことが大事です。
・教室の整理整頓の状態の「当たり前のレベルをあげる」
・園環境の「当たり前のレベルをあげる」・・・等々
当たり前をチェックする為には、外からの眼も大事です。
自分では、当たり前と思っていても、外の人から見ると、当たり前ではないことが良くあります。
自分家の玄関でも、普段は見慣れているのでこれで当たり前と思って過ごしていますが、お客さんが来るとなると、靴をしまったり、花を飾ったり、「当たり前」のレベルを上げます。
私自身も、自分の部屋の積んである本を片づけないまま積んでいる状態を「当たり前」としていますが、他の人から見ると、当たり前ではないことでしょう。
教育の当たり前も、それが当たり前なのかを「立ち止まる・振り返る」作業もいります。
色々なたちどまりがありますが、アンケートの実施もそうですし、研究授業もその一つです。
色々な事を活用しながら、「当たり前」のレベルを上げて行きたいと思っています。