和歌山市立 和佐小学校

校区の状況

 和佐地区は紀ノ川左岸に拓けた平野部で、和歌山市の東部に位置する。南東には和佐山 (高積山・城ケ峰)が豊かな山並みをつくり、西に延びて風土記の丘、花山に連なる。北には清流紀ノ川があり、県下有数の穀倉地帯である。地区内を東西にJR和歌山線や県道和歌山打田線が通っている。また新県道の開通により、交通量が増加してきた。

地区の北部は、やや都市型傾向が強く、南部は稲作・柑橘や野菜の促成栽培などの兼業農家が多い。歴史も古く、史跡や史実も数多く残されている。


 学校屋上より東方面を望む

学校屋上より西方面を望む  

学校屋上より南方面を望む

学校屋上より北方面を望む


 正門前には熊野詣のため、京都から熊野まで人々が歩いた熊野古道が通っている。
学校の周辺には多くの史跡があり、案内板が立っている。

【川端王子社跡】
熊野詣の途中人々が体を休め、旅の安全を祈った王子といわれる休憩所のひとつ。

【和佐王子社跡】
 熊野詣の途中人々が体を休め、旅の安全を祈った王子といわれる休憩所のひとつ。

【歓喜寺】
 熊野古道に隣接するため、鎌倉時代から南北朝時代にかけて、熊野詣の人々に便宜を図る目的で接待所なる施設を設けていた。  開校100周年記念誌より

【和佐大八郎氏顕彰の碑】
 貞亨3年(1686年)4月、京都三十三間堂において、大矢数に挑む事となり、星野勘左衛門(尾張藩)のもつ記録を大きく破り、大記録を樹立しました。この記録は今も破られておりません。時の藩主光貞公は殊の外お喜びになり、大矢数の功により三百石を賜ったとの事です。大八郎の使用した弓は、今も三十三間堂に大事に保管されている。 開校100周年記念誌より

【和佐大八郎氏の墓】 矢田トンネルの北手前にある。

【松下幸之助氏生誕の地の碑】

【松下公園】 松下幸之助氏寄贈

【高積山 237m】 学校から高積山を望む。

【高積神社 下の宮】

【城ヶ峰 255m】 山頂より岩出方面を望む。

【旧中筋家住宅 国指定重要文化財】
 中筋家は、天正13年(1585)に豊臣秀吉の根来攻めの兵火を逃れてこの地に住むようになった、「文貞坊」に始まると伝えられています。以来、代々明治時代に至るまで、大庄屋を務めました。屋敷は戦後に中筋氏に代わって楫本氏が住むようになり、昭和49年(1974)に主屋などが重要文化財に指定されました。保存修理事業は、平成12年2月に始まり、平成22年7月21日に旧中筋家住宅修理工事竣工式が行われました。そして、8月1日(日) より一般公開されています。  和歌山市教育委員会 パンフレットより

紀伊山地の霊場と参詣道

熊野古道のすべて


開校100周年記念誌『わさ』

和佐地区の歴史探訪より

 

学校区図

 

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