和歌山市立 三田小学校

あれから12年、釜石の出来事。

日本国内観測史上最大規模のマグニチュード9.0を記録した東日本大震災から丸12年がたちました。
15,800以上もの人々の命が奪われ、今も2,700人近い方々が行方不明となっている2011年3月11日の東日本大震災で、岩手県釜石市の3,000人近い小中学生のほぼ全員が避難し、奇跡的に無事だった出来事を教訓にしたいと思います。

宮城県釜石市北部にある釜石東中学校での話です。
立っていられないほどの激しい横揺れ。校庭にいた生徒たちは高台に向かって走り出し、校長や教職員の『整列などせずすぐに逃げろ!』の指示どおり教室にいた生徒たちも一斉に非常階段を下り、学校を飛び出し、高台をめがけて走りました。隣接した鵜住居小学校子供達一緒になって、防災訓練で教えられていた裏山の高台(ある介護福祉施設の駐車場)を目指します。彼らを見て多くの住民も動き出しました。
「まだ危ない!」という誰かのひと言で、さらに高台を目指し、地域住民と一緒に、小学生の子供達の手を引いて避難します。その数分後、高台に集まった児童・生徒たちは、自分達が先ほどまでいた校舎や町が津波にのみ込まれ、足下近くまで押し寄せた津波を目の当たりにしました。
釜石市では1,000人以上が亡くなったそうですが、学齢期の子供の犠牲はたまたま津波が襲ったときに学校にいなかった5人のみだったそうです。

 全国においても想定されたハザードマップを参考にするのはもちろんのことなのですが、結果的に何事もなかったとしても想定外のことが起こる可能性を考えて行動することが求められます。

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