和歌山市立 西和中学校

いじめなくそうデーに寄せて(R6.2)

本当に強い人間はみな優しい

人間の素晴らしいところは、人間は、他の動物のように本能だけで生きているわけではない。人が争いを起こすとき、その心は動物のような本能に戻ってしまっているのではないだろうか。武道を学び、心を鍛えることは、人間を動物に戻させないための鍛錬なのかもしれない。
 痛みを知らない人間は、相手を力で屈服させようとする。痛みを中途半端にしか知らない人間は、その痛みを誰かに返そうとしてしまう。学校で起こるいじめや体罰がそれだ。部活動で後輩をいじめたり殴ったりするような人間も同じ。痛みを中途半端にしか知らないから、自分が先輩にやられたのと同じことを後輩にもしてしまう。
 そして、痛みを知らない人間が起こしてしまう最悪の出来事が戦争だ。痛みを知らないからこそ、力で屈服させようという発想が出てくる。
 武道の多くは、戦のための技術が戦から離れ、心にフォーカスすることで発達したもの。痛みを知り、自分を理解することで、人は優しくなれる。

空手家 ニコラス・ぺタスさん(ニコラス・ぺタス 「最強の武道とは何か」より抜粋)

この文章を読んでみて、みなさんにとって

『本能とは何か?』
『心を鍛えるとはどういうことなのか?』
『痛みとはなにかを想像しますか?』
『自分を理解することはできていますか?』

人を思いやる気持ちがあれば、人をいじめることはないと思います。この先もずっとその気持ちを持ち続けてください。そうすれば、みんなが楽しく学校生活や夏休みを過ごせると思います。一人一人が心を鍛えるように考えてみてください。心を鍛えるといっても滝に打たれたりするのではありません。相手の立場になって物事を考える。されて嫌なこと、言われて嫌なことは言わない。そのことが、心を鍛えることに繋がっていくと思います。

レッツトライ!

いじめなくそうデーに寄せて(R6.1)

いじめ体験談 「霜降り明星 せいや」

僕は中学のときからアマチュアでお笑いやっていて、漫才でテレビにも出て、学校内ではいわゆる人気者やったんですよ。そのスタンスで、早く高校でも人気者になりたくて、ちょっとはしゃいでしまったんですよね。ボケたりして。ゴミ箱にみんながゴミを投げていて、僕が「スリーポイント狙え」とかバスケに見立てて実況するみたいな。それがめちゃくちゃすべって、「なんやあいつ」みたいになりました。机を逆にされたりとか。ほかのクラスからも人がうわーって集まって、みんなで僕を持ち上げて学校を回るとか。ひどいときは、4階の窓から足だけ持たれて、体をほとんど外に出されたりとか。そんなんでも、僕はお笑いの精神を持ってたんで、顔引きつりながらも「なにしてんねん」ってツッコんでましたけどね。
いや、これはね、僕がいじめって認定したら、もういよいよいじめになると思ったんで、僕はいじめって思わんようにしてたんですよ。「いじられすげてるんだ」って、そのときは強がってました。そんなすぐ、いじめられてるって思いたないんですよ、人って。いじめって、すぐ「人に相談しろ」とかけっこう言われるんですけど、無理なんですよね、相談するっていうのは、めっちゃ難しいことやと思います。そしたら、髪の毛も抜け出して。ストレスでハゲてきたんですよ。それくらいから、もう開き直りましたね。絶対にこいつら笑かし担年って。いじめって断定されてたまるかって。

ある時、文化祭で劇をやると。で「お前、コント書いてこいや」って言われるんですよね。いじめの一環というか、冗談半分で。でも、僕はマジで作れたんで、もう誰よりも自信あったんですよ。だから、ぶわーって1日でコント仕上げて持っていきました。ベタなんですけど、「リアル桃太郎」っていう。おばあさんが先に、桃を開けてもうて、帰ってきたおじいさんが、赤ちゃん見たときに「誰の子や。おかしい。桃から生まれるわけないやろ」みたいな。で、おばあさんが「わけわかんねん」ってパニックになるコントを書いたんですよ。いじめてたやつが「もうええって」って邪魔するんですけど、絶対負けたらあかんと思って、もう死ぬ気で一人芝居やって説明しましたね。そしたら、めちゃくちゃみんな沸いて。「こんな奴が、こんなんできんの」っていうギャップですよね。ほんまにお笑いの力。
そこで見る目が変わったというか、初めて役割を得たんですよ。文化祭を成功させるっていう。そこから照明、音響、脚本、演出、全部考えて、主役もやって。本で、ちゃんと賞をとったんですよ。体育館で表彰式があって、壇上に上がったとき、ノリで言ったんですよ。ちょっとだけ。「ハゲてても、いじめはね返したぞー!」みたいな。
ほんなら、みんなが「うおおおー!」って。先生とか僕を心配してくれてた人たちも、すごく沸いてくれて。たぶん人生の分岐点やったかなって、今、思いますね。僕ば別に、自分の経験談を押し付けたいわけじゃないので。

やっぱりね、逃げた方がいいですよ。立ち向かわなくていいです。僕は別に戦ってないんですよ。笑いではね返したっていう言い方をすることもありますけど、笑いに逃げただけ。僕には笑いっていう逃げ場所があったから。笑いって対人やから、向かっていったみたいになってますけど。音楽に逃げる。ゲームに逃げる。睡眠に逃げる。何でもええです。とにかく、そんなやつらに、人生終わらされてたまるかっていう気持ちを持ってほしいですね。そんなやつらに合わせる必要もないし、そんな環境に合わせる必要も全くない。自分の好きなことを、本当にチャンスやと思って見つけてほしいですね。
当時、僕は学校休むことに罪悪感あったんですよ。だから休めなかった。でも、休んでいいし、休んでる間に、好きなこと見つけてやり続けていたら、今の僕と同じ26歳という年になったとき、絶対何者かにはなれると思います。10代っていうその年で、すべてを決めないでほしいです。10代なんか、ほんまに好きなこと見つけるだけでいい。だから、いじめと闘うことないですよ。大事なこの人生の入り口で、できるだけ傷つかないでほしいですね。

1年生 車いす体験を行いました。

12月1日(金)に1年生で車いす体験を行いました。学年を2つのグループに分けて、学校内で車いす移動をする体験と砂山小学校の体育館で車いすバスケットボールの体験を行いました。
日頃は気にならないちょっとした段差や傾斜が車いすに乗っていると敏感に感じたり、なかなか前進できなかったりと体験してみて初めて分かることがありました。

また、車いすバスケットボールの体験は、和歌山市福祉協議会ボランティアセンターの皆さん、琴の浦BBC(和歌山県車いすバスケットボール協会)の選手の方々を講師としてお招きし実施しました。車いすバスケットの選手の方々はすごいスピードで自由自在にコートを駆け巡っていて、一生懸命追いかけてもなかなか追いつくことができませんでした。車いすを操作しながらバスケットボールを扱うことの難しさを体験することができました。最後に琴の浦BBCの山下選手から「車いすバスケットは障害者スポーツの1つだが、障がいがあるないに関わらずに誰でも行える競技であることを知ってもらいたい。」とお話がありました。障がいがある人もそうでない人も共に生きていくことのできる社会づくりを今後も考えていきたいと思います。

 

 

 

 

 

いじめなくそうデー(R5.12)

「いじめられている君へ いじめている君へ いじめを見ている君へ」(朝日新聞出版より)

これは、いまから10年ほど前に出版された本で、ここに収められた著名人63人の言葉は、自分が経験したことを通して、読者に何かを伝えようとしています。それぞれ語っていることはバラバラですが、それでもその中に共通するメッセージがあります。それは、真剣に「いじめ」を考えてほしい。そして、ひとりで悩んでいるきみには、もっともっと生きてほしい、という思いです。これから、その一部を紹介します。そしてできたら一度この本を読んでみてください。

【いじめられている君へ】

「大きな夢が支えてくれる」 松本 零士(漫画家)

あなたはいじめられて悔しい思いをしているだろう。涙を流しているかもしれない。その涙は恥ではない。有史以来の英雄もどんな人でも、泣いたことのない人など、ひとりもいないはずだ。絶望しないでほしい。いつか笑う日がくることを信じてほしい。

あなたの人生ははじまったばかりだ。目の前には、時間という宝物がある。無限大の可能性がある。未来は両手を広げてあなたを待っている。・・・・(中略)

あざけられたり、ひやかされたりしてもかまわない。いちど見つければ、あとは夢があなたを支えてくれる。だれに何を言われても気にしなくていい。大人には時間だない、あなたにはある。なにより自分の人生は自分で決めるべきものだ。

さびしくなったら、ひとりぼっちではないことを思い出してほしい。お父さんとお母さんがいたから、あなたがいる。お父さんとお母さんも、そのお父さんとお母さんがいたから、生まれてきた。

あなたの体の中には、ものすごい数の先祖代々の思いと夢がつまっている。あなたは、それほど多くのものを受け継いでいる、とても大切な人間なのです。

 

【いじめを見ている君へ】

「声をあげて 自分のために」 江川紹子(ジャーナリスト)

いじめを見たり聞いたりしても、誰かにそれを伝えるのは大変かもしれません。今度は自分がいじめられるかもって、不安になりますよね。でも、気がついて人が言わないと、その子は助からないんです。

中学校のころ、クラスで少しさけられている女の子がいました。男子から容姿をからかわれていました。仲良しの女の子が一人いたことで、深刻ないじめにはなりませんでした。

でも、卒業後しばらくたった後の同窓会で、仲良しだった子が言ったんです。

「あの子、亡くなったよ。」

場がシーンと静まりかえりました。原因は病気できたが、みんな心のどこかに、あの頃のことが痛みとしてあったんです。

いじめられた子が自殺したり後遺症を残すけがをしたりしたら、周りの人たちはすごく後悔することになります。いじめを傍観するのも、いじめの一種。被害を出さないためにも、自分が何もしなかったことでしんどい思いをしないためにも、声をあげてほしい。・・・(後略)

いじめなくそうデー(R5.11)

いじめなくそうデー(2023.11)

11月2日(木)の朝、いじめなくそうデーの放送を行いました。今回の読み物教材を紹介します。

☘大人に相談する☘

①お家の人に打ち明ける

何か困ったことや、嫌なことがあったときは、まずはお家の人に話してみましょう。話すときには、記録をつけていたノートがあると、何があったのかを説明しやすいです。いつ、どこで、誰に、どんなことをされたのかをメモしておくと、相手にきちんと伝えることができます。

②先生に打ち明ける

もし、お家の人に話しにくいのであれば、学校の先生に相談しましょう。担任の先生でもいいですし、他に話しやすい先生がいればその先生でもいいです。教科担当や生徒指導の先生、保健室の先生等、学校にはたくさんの先生方がいます。あなたの辛い状況をきっと理解してくれるし、早期解決に向けて対応してくれるはずです。

③「助けて!」と言うのは恥ずかしくない

みなさんは、テレビで格闘技の試合を見たことはありますか。ボクシングなどの格闘技の選手は、どの選手も強そうですよね。でも、試合の中でケガをすることは、珍しくありません。すると、どんなに強い選手であっても、すぐドクターが駆けつけ、治療を行います。自分がケガをしている時に、誰にも頼らずに戦い続ける選手はいません。助けを求めることが、今の状況を乗り越えるのに、最善の方法だということを知っているからです。

いじめられている人にとって、今の状況は大ピンチです。遠慮したり恥ずかしがったりせず、すぐに「助けて!」と言えることが大切です。たった1回では、何も変わらないかもしれません。だから、いじめがなくなるまで、何度でも、何人でも、助けを求め続けましょう。

④先輩たちの体験談

(Aさん)

いじめられていた時、私は不安な感情のはけ口として、いろんな人に話を聞いてもらいました。いじめを解決してもらおう、という気持ちより、話を聞いてもらい、すっきりしたい、という思いから、いろんな人に話していました。

(Bさん)

私のために学年集会を開いてくれたのは、学年主任の国語の先生でした。怒るときはすごく怖い先生で、慕っている生徒も多かったので、みんな静かに話を聞いていました。その後、学年全体で「いじめを許さない」という雰囲気が生まれ、学校に通いやすくなりました。

PTA清掃活動を行いました。

10月22日(日)にPTA清掃活動が行われました。

約200名の生徒と保護者、教職員でグランドや正面玄関、体育館周辺やテニスコートなどの清掃活動を行いました。今年は例年にない暑い日が続き、雑草が多い茂っていた場所もきれいになりました。令和5年度も残り半年、折り返しの時期を迎えています。きれいになった学校でいきいきと学習や行事に取組みたいと思います。

 

清掃活動の後には、PTAより豚汁の炊き出しがありました。具だくさんの豚汁、とってもおいしかったです。

いじめなくそうデーによせて(R5.10)

10月4日(水)の朝、いじめなくそうデーの放送を行いました。今回の読み物教材を紹介します。

 

いじめなくそうデーによせて

言葉は、コミュニケーションや相手に気持ちを伝えるときに非常に便利な道具です。しかし、使い方を間違えてしまえば、相手を傷つけてしまったり、嫌な気持ちにさせたりすることも忘れてはいけません。

皆さんは名探偵コナンをしっていますか?劇場版名探偵コナンで、コナン君は興味深いことを話しています。少年探偵団は、げんた君の運転でスノーモービルに乗って遊んでいました。しかし、羽目を外しすぎてしまい、スノーモービルが倒れてしまいます。駆け付けたコナン君たちの前で、げんた君とみつひこ君は責任のなすりつけあいでけんかをします。ここで、コナン君の発言を聞いてください。

コナン君:「そこまでだ!二人ともそれ以上言うのはやめろ・・・。一度口から出しちまった言葉は、もう元には戻せねーんだぞ・・・。言葉は刃物なんだ。使い方を間違えると、やっかいな凶器になる・・・言葉のすれ違いで一生の友達を失うこともあるんだ・・・」

コナン君の仲裁がなければ、二人とは「絶交」まで進んでいたかもしれません。感情的になった時は、思ってもいない言葉が発せられることもあります。しかし、言いたいことを伝えるのは、現代社会において重要なことです。感情をコントロールすること、「言葉は刃物なんだ」ということを念頭に置いて、相手を尊重しつつ発言することが大切です。

そして、このコナン君の名言は、ネット社会にも突き刺さるものではないでしょうか?最近ではSNS上での誹謗中傷が絶えず、社会問題となっています。目の前に相手がいて、その人への言葉が凶器となることもありますが、ネット上で相手が目に見えない状態であっても、ささいな書き込みが凶器となることもあります。ネットの世界ではコナン君のように仲裁してくれる人はいませんよね。そう考えると、コナン君の名言が深く突き刺さります。

あなたは仲間、友田紀、家族に支えられて、支えあいながら毎日を過ごしています。時にはそんな仲間、友達、家族に「ありがとう」と行ってみるのはどうでしょうか。簡単な言葉ですが、「ありがとう」と言われると人は嬉しいものです。「言葉は刃物なんだ」ということを忘れずに、相手を尊重した発言をすることが大切ですね。それでは最後に、もう一度コナン君の名言を聞いて終わりにしましょう。

”一度口から出しちまった言葉は、もう元には戻せねーんだぞ・・・。言葉は刃物なんだ。使い方を間違えると、やっかいな凶器になる・・・言葉のすれ違いで一生の友達を失うこともあるんだ・・・”

【参考】映画 名探偵コナン「沈黙の15分」

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