和歌山市立 西和中学校

いじめなくそうデーに寄せて(R6.1)

いじめ体験談 「霜降り明星 せいや」

僕は中学のときからアマチュアでお笑いやっていて、漫才でテレビにも出て、学校内ではいわゆる人気者やったんですよ。そのスタンスで、早く高校でも人気者になりたくて、ちょっとはしゃいでしまったんですよね。ボケたりして。ゴミ箱にみんながゴミを投げていて、僕が「スリーポイント狙え」とかバスケに見立てて実況するみたいな。それがめちゃくちゃすべって、「なんやあいつ」みたいになりました。机を逆にされたりとか。ほかのクラスからも人がうわーって集まって、みんなで僕を持ち上げて学校を回るとか。ひどいときは、4階の窓から足だけ持たれて、体をほとんど外に出されたりとか。そんなんでも、僕はお笑いの精神を持ってたんで、顔引きつりながらも「なにしてんねん」ってツッコんでましたけどね。
いや、これはね、僕がいじめって認定したら、もういよいよいじめになると思ったんで、僕はいじめって思わんようにしてたんですよ。「いじられすげてるんだ」って、そのときは強がってました。そんなすぐ、いじめられてるって思いたないんですよ、人って。いじめって、すぐ「人に相談しろ」とかけっこう言われるんですけど、無理なんですよね、相談するっていうのは、めっちゃ難しいことやと思います。そしたら、髪の毛も抜け出して。ストレスでハゲてきたんですよ。それくらいから、もう開き直りましたね。絶対にこいつら笑かし担年って。いじめって断定されてたまるかって。

ある時、文化祭で劇をやると。で「お前、コント書いてこいや」って言われるんですよね。いじめの一環というか、冗談半分で。でも、僕はマジで作れたんで、もう誰よりも自信あったんですよ。だから、ぶわーって1日でコント仕上げて持っていきました。ベタなんですけど、「リアル桃太郎」っていう。おばあさんが先に、桃を開けてもうて、帰ってきたおじいさんが、赤ちゃん見たときに「誰の子や。おかしい。桃から生まれるわけないやろ」みたいな。で、おばあさんが「わけわかんねん」ってパニックになるコントを書いたんですよ。いじめてたやつが「もうええって」って邪魔するんですけど、絶対負けたらあかんと思って、もう死ぬ気で一人芝居やって説明しましたね。そしたら、めちゃくちゃみんな沸いて。「こんな奴が、こんなんできんの」っていうギャップですよね。ほんまにお笑いの力。
そこで見る目が変わったというか、初めて役割を得たんですよ。文化祭を成功させるっていう。そこから照明、音響、脚本、演出、全部考えて、主役もやって。本で、ちゃんと賞をとったんですよ。体育館で表彰式があって、壇上に上がったとき、ノリで言ったんですよ。ちょっとだけ。「ハゲてても、いじめはね返したぞー!」みたいな。
ほんなら、みんなが「うおおおー!」って。先生とか僕を心配してくれてた人たちも、すごく沸いてくれて。たぶん人生の分岐点やったかなって、今、思いますね。僕ば別に、自分の経験談を押し付けたいわけじゃないので。

やっぱりね、逃げた方がいいですよ。立ち向かわなくていいです。僕は別に戦ってないんですよ。笑いではね返したっていう言い方をすることもありますけど、笑いに逃げただけ。僕には笑いっていう逃げ場所があったから。笑いって対人やから、向かっていったみたいになってますけど。音楽に逃げる。ゲームに逃げる。睡眠に逃げる。何でもええです。とにかく、そんなやつらに、人生終わらされてたまるかっていう気持ちを持ってほしいですね。そんなやつらに合わせる必要もないし、そんな環境に合わせる必要も全くない。自分の好きなことを、本当にチャンスやと思って見つけてほしいですね。
当時、僕は学校休むことに罪悪感あったんですよ。だから休めなかった。でも、休んでいいし、休んでる間に、好きなこと見つけてやり続けていたら、今の僕と同じ26歳という年になったとき、絶対何者かにはなれると思います。10代っていうその年で、すべてを決めないでほしいです。10代なんか、ほんまに好きなこと見つけるだけでいい。だから、いじめと闘うことないですよ。大事なこの人生の入り口で、できるだけ傷つかないでほしいですね。

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