<14.夜ふけの客> | |||
むかし、江戸時代も終わりに近づいた頃の話。 広瀬通り町に米屋があった。 商いのうまいこの店は、よう繁盛して、店の者は毎晩遅くまで仕事をしていた。 「さあ、店しめるぞ、三吉と余吉、もう掃除すんだのか」 と、番頭の正吉が帳場から丁稚(でっち)たちに声をかけたのは、もう十時ごろであった。 「へ-い、今やってます」 「掃いたら、大戸閉めて、しっかりしんばり棒しておくんやぞ」 「へ-い、わかりました」 米屋は、店を閉めてからもいろいろ仕事があった。 番頭は、帳場でその日の商売の帳付けをするし、丁稚たちは、番頭の言いつけで細々した仕事をしなければならない。番頭が帳付けを終え、もう寝てもよいという声があるまで、丁稚たちは休めなかった。 ある晩のことであった。 いつものように一日の商いが終わり、店を閉めた後番頭が帳場で帳付けをしていた。 その日、どういうわけか、帳尻がうまく合わず番頭の仕事がなかなか終わらなかった。 丁稚たちは、番頭の仕事が速く終わるのを店のすみで待っていたが、昼間の仕事の疲れが出てきたのか、コックリコックリと居眠りを始めた。 トントンと、誰かが店の戸をたたく音がした。 番頭は 「おい、三吉、お客らしいぞ、もしお客やったら、ていねいに断って帰ってもらうのやぞ。 あ、しょうないやつらやな、また居眠りしてるな」 「おい余吉」 と、余吉に言いつけた。 余吉は、番頭の言いつけで、眠たい目をこすりながら、大戸のくぐりを開けた。そうして余吉は、 「へい、今晩はもう閉めましたんやけど」 と、返事をして外を見ると、客らしい者の姿はなかった。 「番頭さん、お客らしい人、誰もいません」 「そうか、確か客が戸をたたいたんやが、ほな、風吹いてないか」 「風ですか、なんやぬくい風ですけど、ちょっと吹いてます。」 「そうか、まあええわ、さあ早よ帳やってしまおう」 と、また番頭は、帳付けを続けた。 しばらくたった。 トントンとまた戸をたたく音が聞こえた。前よりは少し強い音であった。 「またや」 番頭は、帳面から目を離さないで、 「おい、三吉、客かわからんが、戸をたたいているから見てこい」 と、三吉に指示した。三吉は、 「へい、見てきます」 と、答え、余吉と同じように大戸のくぐりを開けて外を見た。 外は、マゼ(南風)が出てきたようである。生ぬるい風が顔に当たっただけで、客の姿はなかった。 ああ、風か。こう思った三吉は重い戸を閉めようとして、いつものように戸の下の方に手をかけた。そのとき、戸の前になにか丸い物があるのに気づいた。 三吉は、戸を閉めるのをやめて、それを拾い番頭のところに持ってきた。 「番頭さん、こんな物が」 「なんや、どれ」 と、三吉から受け取った番頭が、明るい帳場のアンドンの灯で見ると、それは、小さな竹かごであった。その中に、女文字で書いた書きつけが入っていた。 それを番頭が読んでみると。 「まことに少しで申し訳ないが、米の粉を売ってくだされ、のちほど受け取りに参りますゆえ、軒先に置いておいて下され」 と、あった。 「やっぱりお客さんや、なんべんも戸をたたいたが、店の者が行くのが遅かったから、これを置いて、何か他のものを買いにどこかへ行ったんやろ。余吉、米の粉、計ってそのかごにいれて、軒先に置いておきな」 と、番頭は、余吉に言いつけると、もう帳面つけの仕事も終わったのか、大きなあくびをした。 あくる朝、三吉が戸を開け、ほうきを持って外に出てみると、ゆうべ軒先に置いた米の粉を入れたかごはなかった。 こんなことがあって三日たった。 この日も一日中忙しい日であった。夜になり店の者が夜なべの仕事をしていると、また、戸をトントンたたく音がした。今度は三吉の耳に入った。 「番頭さん、誰かとをたたいています。でてみましょうか」 と、三吉が番頭に聞くと、 「うん、そうしてくれ」 と、帳場からあごを突き出して返事をした。三吉は 「へ-い、今晩は、今日はもう店閉めましたんやけど」 そういって、思いとを力を入れてあけ、お客の顔を見ようとしたが、客の姿がなく、前と同じように小さいかごが店の戸の前に置かれていた。 「番頭さん、この前といっしょです。また、かごをおいてます」 「そうか、昼間忙しいので買いにくる間のないお客やろ、粉入れて外へ置いておき」 三吉は、米の粉をかごに入れようとして、かごのそこにあった紙に手がふれた。紙はぬれているようで湿っていた。 「こんなぬれた紙の上に米の粉を入れると、粉が固まってしまうがな」 そう思った三吉が 「番頭さん、かごの紙ぬれてます。このまま粉入れたらあきません」 「沿うか、外においていたんで夜露にぬれたんや炉、これ使い」 と、帳場にあるかき古しの紙を三吉に渡した。 それからまた、三日目の晩であった。また、戸をたたく音がした。いつものように米の粉を買いに来たのである。 その晩、寝床に入った三吉と余吉は、米の粉を買いに来る客のうわさ話をした。 「あのなあ-、今度あの客、どんな客か確かめようと思うんやがどうやろか」 と、三吉は、余吉もいっしょにやってみんかと誘うよう話した。 「わい、晩に弱いけど一晩ぐらいやったら、なんとか起きてるやろ」 と、余吉は三吉の誘いにのった。 「そやけど、黙ってやったら番頭さんにきつう怒られるさかい、さき言うておくほうがええで」 「そうやな、あしたの朝、番頭さんに言うてみるか」 ふたりは、あくる日の朝、ころあいをみて番頭に 「番頭さん、一つお願いがあるのやけど聞いてくれますか」 「なんや、腹減ってるんで、飯増やせということと違うか」 「いや、飯の話ではありません、実は、あの三日目ごとに米の粉を買いに来るお客さん、どんな人か確かめようと思うんで」 「そうか、わしも気になっていたのや、ひとつやってもらおうか、できたら住んでるとこも調べるようにな」 案外、すんなりと番頭に許してもらった二人は、気よくしてその日を楽しみに待った。 その日が来た。 トントンと戸をたたく音がした。 その音を聞いた番頭は、三吉と余吉に目配せして、裏から早く行けと合図をした。中番頭が客の相手をしている間に、裏から出た二人は、客の姿を見分ける手配になっていた。 裏木戸を出た二人は、足音をしのばせてそう-と表の方にまわった。 店先に客がいた。 暗い夜である。目をこらしてみると、どうやら背の高い女である。頭の髪は流し髪のようであった。 二人は、その女の客が動くのを待って、先回りして後をつけることにした。 客が動き出した。元気のないよたよたした歩き方であったが、思いのほか早い歩き方で、ふたりは、前を行く客についていくのに骨が折れるほどであった。 客は、屋形通りから、南片原の西にある岡野の下屋敷の前を山手に曲がり、大井戸丁に向かった。そこから鷹匠町を通り、小坂を登っていった。 ここで、二人は顔を見合わせて立ち止った。 「三吉どうする、ここからわいよう行かんわ。坂の上は寺ばっかりやで」 「うん、昼でも気持ち悪いとこやからな」 女の客は、後ろを振り向いたように見えたが、二人はその後を付けていく勇気がなかった。 結局、その日はこれだけで店に戻った。 店に戻ると、二人の帰りを待っていた番頭は、 「どうな、わかったかどのへんな」 と、催促したが 「小坂登っていったって、ちょっと妙なことやな、男でもあそこ通るの気持ち悪いで、まして女の客がな-」 「よし、今度は定吉にも行ってもらおう。定吉はこんなこと好きやからな」 それからまた、三日たった。 その日も客の後ろをつけて小坂まで来た。今度は年上の定吉がいっしょだったので、二人は心強かった。 定吉は、早い足でからだを浮かすように歩いていく女の客をつけながら、二人に、 「しっかりつけていくんやろ。あの歩き方普通やない。病人かも知れんな。なんや、なに履いてるんかわからんが、さっぱり音せえへんな」 「定吉はん、おどさんといてな-」 「いや、あの歩き方は、どうやら幽霊みたいやぞ」 「いややな、定吉はん、もう戻りまへんか」 「いや、あとつけんのや」 こんなことを言いながら、女の後をつけて行くと、女の客は、小坂を登り大智寺の塀にそうて曲がった。 三人は、曲がり角から女の客が歩いていった方向を見たが、客の姿は見えなかった。 「あれ、あそこや、あそこに」 定吉が押えたような声で、二人に知らせた。 「見てみ、あそこの墓場のあの新しい塔婆のとこや、こっち見て立ってる」 「あ-ほんまや」「死んだ人や」 三吉と余吉と定吉は、びっくりして座り込み、思わずナンマイダとお経を唱えた。 「おい、あっち向いてちゃんと拝め、かわいそうに子養いの最中に死んだ人の幽霊いや」 と、元気のあるはずの定吉も、ぶるぶるふるえながら二人に言った。 三人は、一生懸命に拝んでいると、急に女の客が立っていたあたりが明るくなり、その中で丸い玉が光った。 それは、これまでよく米の粉を売ってくれて有難う。といっているような光であった。 |