<13.堀の大なまず> | |||
昭和の初めの頃の話。 梅雨の雨が毎日続き、水かさを増した堀の水は、屋形川に流れるようにつくられた排水口に、太い滝となって勢いよく流れ落ちていた。 子どもたちは、降り続く雨にぬれるのも平気で、滝の中にタモを突っ込み、じっとタモが重くなるのを待っていた。 タモがぐっと下がり急いで引き寄せると、タモの中には、堀の増水に寄って流されてきた大きなフナが入っていた。 そんなある日のことである。いつものようにフナを採っていた一人の子どもが、なにげなく堀を見ると、堀のハスの葉のかげに、大きさ2mぐらいの魚のような黒いものを見つけた。 それは、頭が光っており、背びれらしいものがある魚か、また木かわからないが、とにかく大きなものであった。 「あれ、あそこになんかある」 と、大声でそばにいた友達にいうと、 「どこどこ」 「あ、ほんまや」 と、それが次から次へと伝わり、子どもたちはタモをほったらかして、堀端に集まった。 黒いものは、時々動いているようである。ハスの葉が揺れている。 やがて側を通っていた大人たちも、子どもと同じように堀端に立って眺めるようになった。 「ありゃ、堀の主のナマズや」 と、堀を見ていた一人の大人が、誰に言うともなく声を出した。 「え―主てなによう」 「主てな、この堀を守っているものや、この堀にはな、昔から主の大ナマズがいると聞いたことあるで」 と、さっきの大人が子どもに答えた。 「堀の主」というその言葉のひびきに子どもたちは、一種の神秘さと怖さを感じた。 堀の主と聞いた一人の子どもは、 「お前、ほんまに見たんか、古い木とちがうかあ」 と、最初に見つけた子どもに向かって聞いた。 「ぼく、そんなナマズっていってないよ。」 と、自分が言ったことの反響の大きさに、おびえたようにつぶやいた。 子どもたちは、まだ見たこともない、堀の主といわれるナマズの存在を認めたいような、認めたくないような複雑な気持ちになった。 梅雨どきである、水量を増した堀のハスはすっかりその柄を水の中に隠し、大きな葉が堀一面をおおっている。 堀端に近いハスの葉は、見物人が少しでも見やすいように水面を広げようとして、棒で引き寄せたのか、大きく破れたり、茎が折られたりして無残な姿になっている。 遠くのハスは、時々堀を渡る風にゆられて、うわさのものを隠すかのようである。 夕方になっても子どもたちは堀をのぞいていたが、とうとう大人に帰れといわれて未練を残して帰っていった。 翌日になった、昨日のうわさが広がったのか、朝から堀端のせまい土手の上に鈴なりになって、堀をながめる人でいっぱいになった。 眺めているだけではない。大きなタモや針金で作ったひっかけを持ってきている人もある。 風が吹いてぎっしりと堀をおおっていたハスの葉がゆれ、ハスの葉の間から水面が現れた。 「ほら、あれや」「どこどこ」「ほら右に動いた」 と、急に見物人の中から声が上がった。 見物人の一人が指さすところに、なるほど黒いものが見える。形は背中が盛り上がった魚のようなものである。見える部分が黒く光っている。大きさは五,6尺ぐらいあるようである。 「あれナマズや、あの形はナマズに違いない」 「それにしても大きいな」 と、大人たちが騒ぎ出した。子どもたちは、自分の目で確かめようとするが、眼の前に立ちふさがっている人に邪魔されて見えない。それでも見ようとして、大人の足の間からのぞきこんで入る子どももある。 ナマズといわれればナマズであり、黒い古い木といわれれば木のようにも見える。というのがみんなの感じであったが、6尺ぐらいの黒い物体は、みんなによってとうとう堀の主のナマズに違いないということになった。 ナマズにされた黒い物体は、息でもしているのか浮いたり沈んだりしているように、見える。 また、風が吹いてハスの葉が揺れ、その黒い物体をかくした。 バシッとハスの葉が破れる音がした。見物人は一斉に破れたハスの葉の辺りを見た。きっとナマズが動きハスの葉を破ったと思った。 しかし、ナマズが動いてハスの葉が破れたのではなかった。破れたのはなまずが確かにいるかどうかと、あせった見物人の一人が投げた石でできたものであった。 ハスの葉が動いたが、そのあたりには何の変化も起こらなかった。 急に黒い物体のいるあたりの水面がゆらいだ。ちょうどそのときである。また風が吹き、ハスの葉が横にゆれ、水面が見えたが、そこにあるはずの黒い物体は見えなかった。 その後再び大ナマズを見たものがなかったが、昭和の中ごろに、戦争がはじまり食糧難となり、堀を畑にすることとなった。その畑をつくっていた人が堀の泥土を上げようとして土をすくったところ、その中に大きな魚の骨があった。 その人は、子供の頃にあった大なまず騒ぎを思い出し、その骨を堀のそこに戻したという。 |