和歌山市立 広瀬小学校

広瀬の昔話

<7.屋形町の狐>
 昔、まだ屋形町の通りに、さむらい屋敷のあった頃の話。
 そのさむらい屋敷の中に夏目という屋敷があった。
 その屋敷の長屋門の部屋に屋敷で奉公しているものが大勢住んでいた。
 奉公人たちは、みな独り者だったので、昼間の仕事がすむと、晩は気楽なもので、仲間の部屋に集まって、昼間の話や将棋を指したり、酒を飲んだりしていた。
 皆、若いものばかりだったので、晩飯を食ってもじきに腹が減って、かわりばんこに屋敷の前の通りに出て、毎晩東中橋のたもとにくる、夜なきうどんや餅を買うてきて食べていた。
 ある晩のこと、庭番をしている松吉が餅買いの当番になった。
 松吉は、通りに出てみると、いつも橋のたもとに出ている夜なきうどんの屋台や餅屋から少しはなれたところに「おばまん」と書いた赤いちょうちんをぶら下げた店が出ていた。
「おや新顔やな、よし、あそこの餅買うてやろ」
と、松吉は、その店の前に立った。
「ごめんよ、お前新顔やな、お前とこの餅うまいか」
「おこしやす、へい、うちは、餅やおまへん。饅頭でっせ、うちの自慢はできたてのほやほやのものしか売りまへん。いくつ包みましょう」
 屋台に並べている饅頭は、饅頭屋の言うとおり、ほかほか湯気が立っていかにもうまそうであった。
「やっしゃ、二十くれ」
「おさむらいさん、あいにく十しか残ってまへん」
「そうかしょうない、ほなみなくえ」
 そういいながら松吉は、饅頭を竹の皮に包んでいる饅頭屋の顔を見た。
「おさむらいさん、あんまり顔を見んように頼みまっせ」
 饅頭屋の顔を見た松吉は、まえにどこかでみたような顔だと思ったが、なかなか思い出すことができなかった
「おい、この饅頭の皮ちょっと茶色やな」                                                                         
「おさむらいさん、これ知りまへんか、これ今、大阪で評判のソバフンていう粉を使ってますんや」
「なんや、わし、初めて聞いた。まあええ、はよやってくれ」
「へい、この饅頭はですな。今大阪の飛脚の間で有名になってますんや」
「どうしてな」「へい、この饅頭食うたら精ついて、馬みたいに走れるということで」
「なんやけったいなことやな。いくらな」
と、松吉が金を払おうとしたら
「おさむらいさん、今日は、初めてのお客さんですさかい、ただで結構です。そのかわりまた買いに来てくれますか」
 松吉は、いつも仲間から、松吉、松吉と、呼びすてにされているのに、あの饅頭屋のやつ、わしのことをおさむらい、なんて、中々ええやつやな。また明日買いにいってやろ。それにしてもあの細い目と長い顔。どこかで見たことがあるような気がするなと、独り言を言いながら、仲間が待っている長屋まで急いで帰っていった。
「お待ちどう、今夜めずらしい饅頭買うてきたで」
[なんや遅かったのう、かれこれ一刻もたったやないか。どこへいってきたんなら]
「どこて、橋のたもとまでや、おかしいな一刻もかかったて」
松吉は、仲間がいつものように冷やかしているのやなと思いながら、饅頭を包んでいる竹の皮を開けた。
 いつもであればすぐ出てくる仲間の手が、今夜は出てこなかった。
「どうしたんな、饅頭食えへんのか、この饅頭ソバフンという粉を使うてうまいらしいで」
と、松吉が、皆に食べるようにすすめたが、誰も
[悪いなあ、もうちょっと後で食うわ]
「あのなあ、後で食うと言うたんは、お前あんまり戻ってくるのが遅いので、忠助が夜なきの屋台を呼んできたんや、それで皆、いつもよりようけうどん食うたんで,まだ腹大きいんや、あとで食うさかいな」
「おもしゃいな、ほんなら忠助、わし見やなんだぜ」
「いいや、お前の姿みなんだぜ」
「そうか、まあ、ええわ、わし饅頭食うで」
松吉は、饅頭を口に運んだ。そうしたらプ―ンとわらの匂いがしたような気がした。これはソバフンの匂いやろ。と、饅頭を食っていると今度は、なにか歯の間にはさまった。引っ張り出してみると、それはわらのようなものであった。
 ちょうどその時、殿さんのお供をして帰ってきた馬番の矢吉が、白い餅をのせた盆をもって部屋に入ってきた。
 矢吉は、
「みんな腹すいているやろ.。矢吉遅くまでごくろうやったと、奥様からいただいた餅や」
そういわれた仲間は、手を出して白いもちを二つづつ食った。
 松吉は、自分が買うてきた饅頭を食っている最中だったので、白い餅を後で食うことにした。
 白い餅をうまそうに食っていた矢吉は、餅を口にほうばったまま、
「あのなあ、今日は妙なことあったんや」
「なんや、それ」
「それがな、馬のやつ、今日に限って殿様の出かけ糞(くそ)してな,早よ馬ださなあかんので、あとで糞の始末しようと思って戻ってきたら、それが一個もないんや、小屋の梅吉に、お前片付けてくれたんかと聞いても知らんというし、だれぞ片付けてくれたんか」
と、皆に聞いたが誰も知らないという。
「わ、矢吉、お前、馬の糞をつけてきたんと違うか、なんやら糞のにおいせえへんか」
「あほ言え、わしはちゃんと風呂に入ってきたんや」
と、矢吉はかんかんになって怒りだした。
「わっ、あれや、松吉の饅頭見てみ」
と、矢吉が指さした松吉の饅頭は、湯気がたっている馬の糞であった。         「松吉、お前狐にかつがれたな、狐は賢いさかい、悪さしたら仕返しするていうで」
 そういわれた松吉は、この前、庭であったことを思い出した。それはこの間、庭を掃除していると、目の前を狐が走ったので、思わず手に持っていた釜を投げたら、それが狐の後ろ足にあたり血を流しながら逃げていったことである。
 それを皆に話したら、仲間のみんなは、
「その仕返しにちがいない」
と、いうことになった。
「そういえば、わしら、うどん食うたぐらいで餅食えんということないのに、今夜は,お前が買うてきた饅頭はどうしても食えなんだ。矢吉が持ってきた餅食えたのにな」
 そう仲間に言われた松吉は、あの狐にだまされたと考えた。
 もう一度、庭の出来事を思い出そうとしたら、さっきあった饅頭屋の顔と、庭であった狐の顔とがぴったりと重なった。
 そんな部屋の中の様子を窓の格子の間から見ていた子キツネは、満足そうに窓の下に下り通りに出た。
 そうして
「父さ-ん、かたきうてたで、早よ足の傷なおして、いっしょに遊んでよ」
とでもいうように、コンコンと二度鳴いた。

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