和歌山市立 雑賀小学校

校区の様子

学校周辺の環境

 当校区は昭和2年和歌山市に合併されるまでは雑賀村と称して農業や漁業にたずさわる家庭も相当に多く、田や畑は学校の近くでも見られたものである。
戦後、和歌山市の発展にともない急速に住宅地として発展して来、今後もなお住宅の増加が予想されている地域である。

 したがって、学校区は旧来の村当時からの伝統的な地域とその空間地帯を埋めるようにして発達してきた新しい住宅地域の両者から成り立っている。
近頃は新旧両者が融合し、すべてが急速に都市化してきたところである。

 校区の東側は国道42号線が南北に通じ、西側には大浦線のバイパス道路が開通して車の往来が日毎にはげしくなり、交通安全対策が地区の重要問題となっている。
昭和38年まで安全で美しい海水浴場として市民に親しまれてきた校区西端の水軒浜は、埋め立てられて工場地や貯木場となり、その景観を一変してしまった。
その代償として、秋葉山に県営プールが建設され、昭和46年7月国体夏季大会がここで実施された。住宅建設等も今なお続いている。

 以上のように戦後数十年間に急速に変化してきた地域である。

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