和歌山市立 明和中学校

片男波海岸

片男波


和歌川河口にのびた砂州(幅30m、長さ3km)
万葉の歌人「山部赤人」が詠んだ 若の浦に 塩満来れば かた乎無美 葦辺を指して 多頭(鶴)鳴き渡る から名付けられた。

片男波海水浴場  
 
片男波から見る名草山 片男波から見る新和歌浦

 

 

 

東照宮

桜 門

 

 東照宮は、元和七(1621)年、初代紀州藩主徳川頼宣公が18歳で五十五万石の太守として着任し、父家康を祀るために景勝の地天神山に創建しました。

 宮を建てるときには、有名な職人や絵師たちのほか、紀州藩の武士も大勢参加し、青石が敷き詰められた108段の参道は、武士たちが築いたので、「侍坂」ともいわれています。また、数多くの灯籠の一つ一つに奉納した武士の名前があります。

 東照宮には、重要文化財がたくさんあります。漆塗りや極彩色の精巧な彫刻、狩野・土佐両派の豪華な絵。左甚五郎の彫刻の多いのも天下希有である。桜門の朱塗りの極彩色は天下唯一といわれる。また、藩主の代々の刀剣や武具、着物、陶器などの秘蔵品があります。 

入り口の鳥居 侍 坂
108段の階段 東照宮 本殿

 

天満宮

本 殿

 天満宮は、醍醐天皇の延喜元(901)年、右大臣菅原道真公が筑前太宰府に左遷され、赴任の途中海上の風波を避難するために、この和歌浦に立ち寄られました。

天神山にある天満宮 全景 天満宮の階段と桜門
 

 

紀三井寺

西国三十三カ所 第二番札所 紀三井寺

 紀三井寺は、名草山の中腹にある。紀三井山護国院金剛寳寺といいます。宝亀元(770)年、唐から渡来した為光上人が建立したといわれています。十一面観音立像(重要文化財)は、為光上人の作で50年に一度だけ見られるそうです。また、紀三井寺は、西国三十三カ所第二番札所として信仰を集めています。紀三井寺の由来は、清浄水楊柳水吉祥水と名付けられた三つの井戸があり、「三井寺」と呼ばれていました。しかし、近江にも「三井寺」があったために、紀伊国の三井寺ということで「紀三井寺」と呼ばれるようになったといわれています。

 清浄水は、表坂の石段の中程にあり、仏さんのお持ちになった瓶からわき出たお水で、飲む人の罪を消すといわれます。

 楊柳水は、柳の木の枝葉からしたたり落ちるお水が、飲む人の病気を治すといわれます。
吉祥水は、裏坂の旧熊野街道沿いにある石地蔵を登った滝で、飲む人に幸福をもたらすといわれます。

 今では、日本名水百選に選ばれるほど、おいしい水として人気があります。また、紀三井寺は、桜の名所としても全国にその名が知られています。境内には、千本もの彼岸桜があります。この桜は、関西一の早咲きの桜の名所として知られています。

  見上ぐれば 桜しまふて 紀三井寺  

かつて、この地を訪れた松尾芭蕉は、境内の見事な桜をこのように詠んでいます。

名 草 山 山腹の紀三井寺
紀三井寺の表門 231段の階段
清 浄 水 紀三井寺の裏門

 

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