和歌山市立 紀伊小学校

校区の状況

校区の様子

学校の屋上から撮影した、紀伊の風景です。

校区図を表示する

北 方 面
north

西 方 面
west

東 方 面

east

南 方 面
south

 

地域の実態

 校歌に「昔国府にえらばれた ゆかりも深い紀伊の里」とあるように、紀伊は古くから開けた土地である。国府の置かれたのは元慶年間のことであるらしいので、今からおよそ1,100年程前のことになる。また、紀伊地区内には、橘谷集落跡・府中遺跡・田屋遺跡・北田井遺跡などいくつもの遺跡があるが、縄文後期から弥生時代後期の遺跡であり、大和の連合政権成立と関係の深い遺跡もある。このことからでも、古くから開けた土地であることが考えられる。
 和歌山市の北東部に位置し、南は紀の川を境に西和佐・和佐両地区と接し、北は葛城山脈を経て大阪府と接している。また東は川永・山口両地区・西は直川地区に接している。伊都・那賀地方と和歌山市を結ぶ交通の要所であり、交通事情が複雑化してきた。
 校区には、まだまだ自然も残っており、山あり、川あり、谷あり、池ありで起伏の多い反面葛城の山裾から紀ノ川に到るまで広々とした田畑があり緑の多い土地である。従って、かつては農業中心の地域で、昭和28年頃は、約80%が農家であった。しかし、その後の社会情勢の変化に伴い、専業農家は激減しほとんど会社員・公務員との兼業となっており、交通運輸業、土木建築業、製造業などが増加している。
 また、県立盲学校、県立紀伊コスモス養護学校と養護老人ホーム(3園)があり、「福祉ゾーン」の顔をもつ地域である。
 昭和34年に海草郡紀伊村から市町村合併により和歌山市に編入以来、住宅地として逐次開発され、特に昭和45年頃より府中・鴨居川・西田井・平原・府中御彷・紀伊団地が造成され人口も一時いちじるしく増加した。しかし、近年は横ばい状態にある。
 保護者の教育に対する関心は高く、愛育会活動も活発で学習環境の整備と児童の健全育成のために積極的に取り組むとともに、会員の教育力の向上と相互の親睦活動に意欲的である。
 平成4年11月27日、紀伊地区を挙げて創立百周年記念式典を挙行、本校の歴史と伝統に更に重みが加えられた。

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