和歌山市立 安原小学校

校区の状況

校門を入ると、右手に「御船山遺跡」がある。
これは、昭和53年に、本校創立80周年記念事業として、復元工事を行ったものである。
歴史をひもとくと、「古代、安原一帯は、阿備という地で、大きな入江になっていて、船の着く港でもあった。神功皇后が、西国から帰られた時、松原の柏原で生まれた武内宿彌に、幼女の太子(後の応神天皇)を守らせ、この地、津田浦に上陸され、陸路、相坂、且来・野上などを経て、都に上られた。そのとき残された、御船・船櫂・台櫃・台旬が化して、丘となって残ったものとして伝えられている。」(仁井田 好古の撰弁書より)そうした言い伝えをもとに復元されたのが「御船山遺跡」である。
この由緒ある校区は、総面積9.98k㎡で、2,800余の戸数があり、約8,000人が住居している。そして、豊かな田園地帯の中に、21の集落が点在し「安原」の名にふさわしい閑静なたたずまいの地である。 昭和31年に和歌山市に編入されたこの地は、市の東南部に位置し、交通の不便さと市街化調整区域に指定されていることが、校区内の急激な変容や、市街地化をもたらさない要因となっていた。 しかし、特別支援学校、消防学校、私立女子短期大学、私立小・中・高等学校の設置や、道路や住宅、公共施設等の整備に加えて、最近では、新興住宅の建設や農業道路、市県道の整備拡張などが進み、人々の意識と共に、この地の社会構造にも、変化をもたらしてきている。
「東に昇る朝日かげ 西に聳える名草山 比類まれなる眺めにて いとも楽しき我が庭や」の校歌のとおり、その美しい自然を誇る環境のもとで、子どもたちは日々学習活動にいそしんでいる。

 

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