昨日は、出ていなかったのに、今日は枝豆の芽や朝顔の芽が出ていたりと、プランターの様子が一日一日変化してきます。
外の塀ぎわに植えている、ガザニアの花もしっかりと自己主張しています。ガザニアは、昨年夏休みに苗をもらってきて、植えたものです。植えたからこそ、根が付き花を咲かせてくれました。来年には塀の周りがびっしりと黄色い花が敷き詰められる予定です。私の前の職場からもらってきて植えたのですが、苗が敷き詰められることで草が生えにくいようになり、また花の少ない季節にきれいな花が咲いてくれ、とてもありがたいと思っています。
「まかぬ種は、生えぬ」
幼稚園に勤めるようになってから、実感する言葉です。種をまくからその芽が出て、生長を見せてくれます。
しかし、単に、そうなってほしいと思っているだけでは、変化が起こりません。言われてみれば当たり前のことです。
よくわかる例えを出せば、今の時代、「手洗いうがい」は、生き抜くために大事な生活様式です。園でもとても大事なくせとするなるように、教師は子供と過ごしています。これが癖となれば『当たり前の行動』となります。しつけの基本は、家庭生活だと思いますが、園でも教師が意識して行動することで、子供も意識して行動できるようになります。
朝起きてきたら、「おはようございます」というのも、癖となります。家の玄関のくつをそろえることも、癖となります。朝家族みんなが、おはようという声が交わされる家族は、いいですよね。きっと園でも・学校でも・職場でも・挨拶できる人として育ちます。玄関の靴もすっきりとして、そろえられていたら、誰もが気持ちいいですよね。『当たり前の行動』として定着すると、一生の宝物です。
園での遊びを考えても同じと考えています。
子供の遊びをよく見ていて、『芽』を見つけて、それを膨らませていこうとする教師の意図がしっかりとなければ、変化が起こりません。単にそうなってほしいと思うだけでは、変化は起こりません。火を起こすのと一緒で、火種があれば、それを大事にして、火を絶やさないようにし、そこに「熱と燃やす物」を教師が用意することで、火が燃えあがっていきます。「教師の熱」と「燃える物」という環境構成が大事なのです。
教育は「変化」を生むことです。
幼稚園教師の中でも、「教師がでしゃばるのは、子供の主体性が・・・」と、単に放任しているような発言をすることがあるようにも聞きます。卵の中からひな鳥が生まれるとき、卵の中からくちばしでつつくと同時に、親鳥が外からつつくと聞いたことがあります。子供の行動に合わせて、教師が動いていく。子供だけに任せてしまうのでないのです。
私は「人間磁石(私の造語です)になって」と、教師に説明していますが、その子供に合わせて教師が距離を取りながら支援していくことがとても大事なのです。例えば、ボタンをとめられない子には、止めてあげる。もう少しでできそうな子には、じっと見守り、できたときににこっとあるいは認める言葉をかけてあげる。この子供に応じて支援を加減していくのが教師の支援の在り方です。
教師の適切な支援で、子供の学びの芽が育っていきます。適切なタイミングで、適切な環境を用意し、適切な距離で、その遊びを支援していく。あくまでも、主人公は、目の前の子供であり、必要な分だけ支援できる教師のかかわり。
中之島幼稚園には、ロシアヒマワリを育てています。芽が出たときは、わりばしで支える棒をつくりますが、1mほどになると、それに合った支える棒が必要になります。目の前のヒマワリに合わせて支援の棒が必要なのです。主体に合わせ、支援する姿の大切さがそこにあるように思っています。
《6月22日のヒマワリは、2m30㎝に届きそうです。大きく伸ばしたいものですね!》