和歌山市立 楠見中学校

<玄関前に、約10年に1度咲くと言われるソテツの花>

◎玄関前に、約10年に1度咲くと言われるソテツの花が咲きました。

※身近な場所や南国風の施設でよく見かける「ソテツ(蘇鉄)」。ヤシの木に似た印象がありますが、分類上はイチョウやマツに近い裸子植物の仲間です。学術データベースである「YList 植物和名-学名インデックス」にも、学名Cycas revoluta Thunb.として登録されています。林野庁のまとめによると、ソテツは海岸の崖などに生育する常緑の低木で、幹の表面は魚の鱗のような模様になっているのが特徴です。葉は長さ1mほどで、雄花は円筒状で長さ1m、雌花は半球形で径30cmほどとされます。実は卵形で長さ約4cm、赤朱色で光沢があります。ソテツの花は、株が十分に成熟しないと咲かず、開花の周期も10年前後、あるいはそれ以上と言われるほど珍しいものです。そのため昔から「ソテツの花を見ると幸運が訪れる」という言い伝えがあり、花言葉も「雄々しい」とされています。信憑性は定かではありませんが、こうした言い伝えも含めて、地域で長く親しまれてきた植物であることがうかがえます。(地域NEWS号外NETより)

<和歌山北警察署テミスPRユニット>

◎特殊詐欺防止の運動として、和歌山北警察署管内において「テミスPRユニット」の録音を、各校が行いました。本校は生徒会の代表が和歌山北警察署にお越しいただいて録音作業をおこないました。

和歌山北警察管内のATMコーナーにて、各校生徒会が録音した「テミスPRユニット」配置されます。

<平和学習 ~和歌山大空襲~>

〇7月9日(木)平和学習 ~和歌山大空襲~

全校放送にて、平和学習 ~和歌山大空襲~を行いました。

今年は、太平洋戦争が終わって81年目の年となります。そして、1945年の7月9日の深夜から10日の未明にかけて、和歌山大空襲が行われた日です。
太平洋戦争は、日本がイギリス・アメリカに宣戦布告をして始まった戦争です。
この戦争におけるアメリカ軍機の日本への空襲は、1942年4月18日に東京を襲ったのを最初に、東京・名古屋・大阪など大都市への空襲がだんだん激しくなっていきました。
和歌山市も何度か空襲を受けていましたが、本格的な空襲は、7月9日の市内大空襲でした。約3時間の爆弾攻撃で、市街地は破壊され、多くの死傷者を出したといいます。
和歌山市は、昭和20年の戦災で、市の約70%を焼失、市街地は燃えつくされ、多くの死傷者がでました。
和歌山市は、応急復旧するとともに、将来を展望した新しい和歌山市の建設を目指す『戦災復興計画』をつくり、明るく、文化的な都市に再建することにしました。
和歌山市では、毎年、7月9日に法要を開催しています。
戦争は、最大の人権侵害です。今日のこの放送を通じて、『命の尊さ』や『互いの違いを認める大切さ』を考えるきっかけにしてください。

和歌山大空襲 資料

<部活動壮行会> 7月1日

◎部活動壮行会

夏の大会を前に、各部活動の代表が、決意と大会日程、会場や対戦相手等を発表しました。

3年生にとっては、最後の大会であり、生徒会長から激励の挨拶がありました。

和歌山市立楠見中学校代表として、頑張ってください。全校生徒「チーム楠見」一丸となって応援しています。

<人命救助>

◎本校生徒数人が、すぐそばで交通事故に遭遇した。大きな音、飛び散る破片、出血している人。咄嗟に119番通報をして救急隊を呼び、近所の方々と破片の掃除をしたり、けがされている方に声をかけたりしながら、到着した救急隊に通報者として対応したとのこと。翌日、近所の方から「生徒たちの勇気ある行動ですばらしい」と学校に連絡がありました。関係の生徒たちに話を聞くと「電話しようとなった。一緒に片づけたり、ケガされた方に声をかけていた」等等、当たり前のことをしただけという感であった。みんなでいたからできたかもしれないし、一人であってもできたかもしれない。咄嗟の行動で、ここまでできるのは、素晴らしいことです。

<育友会奉仕作業>

〇5月23日(土曜日)午前 来週末に体育祭実施のため、育友会の奉仕作業があり、多くの方々、部活動を中心とした生徒のみなさん、多くの教職員が参加し、総勢約250名でグランド、校舎、体育館周辺の草刈りや側溝の溝さらい、落ち葉集めを行いました。日ごろ校務さんが行ってくれいているとはいえ、昨年は雨天のため実施できず、草木、側溝の土砂は、予想以上に多く、苦慮しました。月曜日から体育祭学年練習や予行練習、本番に向け、ベストな環境となりました。ありがとうございました。

 

<離任式>

◎令和7年度楠見中学校離任式   3月31日(火)

年度末の異動で、12名の先生方が離任されました。新天地でのご活躍を祈念しております。

ありがとうございました。

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