和歌山市立 野崎西小学校

校区の様子

本校は、和歌山市の北西部にあり、北部は打手川をへだてて貴志地区、東部は楠見地区、南部は野崎、北島、福島、西部は土入川をへだてて松江、湊地区に接している。梶取、狐島、島橋と野崎、延時の一部が校区にあたる。校区のほぼ中央を東西に県道粉河・加太線・東よりには県道梅原・和歌山市停車場線(旧国道)が、また、西よりには、大阪への主幹線国道26号が南北に通っており、年々交通量が増えてきている。南海加太線が学校の北西を走っている。
和泉山脈は約7000万年前に起源をもつ和泉層群からなり、その南辺には大断層の中央構造線が東西に走り、紀の川は和泉山脈の南岸の山地との間にできた地溝を流れて沖積平野をつくりあげた。野崎の地はその平野の一部といわれ、紀の川の流れの移り変わりに深いかかわりをもっており、山地の名称にも昔の地形に由来するものが残っている。(狐島、北島、福島など)歴史においても戦国時代の雑賀一揆に参加した土地の土豪の名前も記録にあり、文政6年(1823)の北島一揆にも関係のある山地である。また、紀州徳川家と縁も深い総持寺が梶取にあり、人や物質の往来は盛んであった。(のざき郷土誌)明治22年(1889)市町村制の施行により5か村(梶取、福島、北島、狐島、野崎)が合併して野崎村となり、昭和15年(1910)和歌山市と合併する。
地域は、農村地帯で米、野菜づくりが営まれ、静かなたたずまいであったが経済成長にともない昭和46年(1971)国道バイパス(国道26号)が開通し、農地が宅地となり、住宅建築もすすみ、野崎小学校の児童数が年々増加してきたため昭和47年(1972)に野崎小学校から分離し、「野崎西小学校」として開校する。令和元年5月現在、児童数350人。
学校周辺では、宅地造成が進み、活気のある新しい動きをもっているが、まだ、農村的な閑静な感じを残している。

 

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